吊るし柿を作った。

富有柿などの甘い柿は全部アライグマにやられてしまった。渋柿でも、新品種のものは食べられてしまっていた。昔からある串柿だけ残されていた。とても貴重だよ。

子供の頃は竹串に刺していたものだ。今は吊るし柿にして食べている。この方が格段にうまいのだ。学生時代に九州の人が作り方を教えてくれた。阿蘇の方では、竹ヘラを使って皮をむくそうだ。カナゲが付くと味が悪くなるんだとか。

さすがに私はステンレス包丁で剝いた。小ぶりなので手の筋肉が痛くなった。

剥いた皮は干して、漬物に使う。とくにタクアンの味付けには欠かせない。昔ながらの良い味になる。すっかりスローフードにはまっている。

今年も100円売り場を始めた。

ゆら早生は色付くのが早いので、一番先に出荷することになる。小玉が多くてね。摘果して粒の大きさを揃えないから、小っちゃいものばかりよ。近所の百姓からも、ちゃんと作ればお金になるのに、と言われている。私にも分かっているけど、どうも苦手なんだろう。みかん作りには女手が欠かせないという。そのとおりだよ。

蜜柑畑も田んぼも、維持管理が目的でやっている。たまに赤字になることがあって、百姓も大変だな、と周囲の百姓たちのことを思ったりする。自然を相手の仕事だから条件はみな同じよ。こんな田舎町の百円売り場だから、いくら売れたところで知れている。盗られることの方が多い日もある。

店員のいるスーパーマーケットでも万引きがあるんだから、無人販売ならなおさらよな。盗癖の人は病気だと思っている。さぞ生きていくのに大変なことだろうと思う。貧しいとか貧乏とかではなく、そんな人とは仲良くできないでしょ。それが分からないからやっているんだろうけど。100円売り場は母が楽しみにやっていた。

阪和高速道路のないときだったので、結構よく売れたらしい。コツコツと溜めて、アパートが一軒建った。バブルの時代だったからね。両親はいい時代を生きたのだ。最後は旅行ばかりしていた。バカ息子は一人、百姓しながらこれも運命かと日々を過ごしてきた。いたずらに啾啾たらんや、と。(王陽明、啾々吟です)

ヘロドトス『歴史』を一気読みした。

なんか小難しいことをギッシリと書いてあるな、と思いながらも、夜中にゴソゴソしながら三冊全部読んでしまった。こまごましたことは忘れているけれど、結構面白かったからフンフンと言いながら読めたんだと思う。ヨーロッパのエリートたちは、常識的にこの内容は知っていると聞く。

日本人は全然知らないから、話のベースがどうしても合わないんだろうね。内容は紀元前500年頃のギリシャ社会で、ペルシャが攻めてくるときの英雄物語よ。と言っても誰も知らないな~、マケドニアのアレキサンダー王か、でも時代が違うから別人だろう。

ピラミッドは出てこないし、シュリーマンの『古代への情熱』の時代でもない。キリストだのイスラムだの言う宗教もない。巫女が託宣するという。やはり日本の古代史とは違う。歴史と言うのは、ホントにいろいろな出来事が積み重なっているんでしょうな。

そんな中で自由を求める生き方、民主主義を理想として西欧社会は成熟していく。けれど責任回避の平民は奴隷だと嫌悪する。そうそう、ハリウッド映画でも、「なんだ、奴隷の言葉か」と言うセリフがある。この辺に彼らの価値観が見えるのだ。こんな道徳観念が、どっさりと書かれた戦争の殺戮の中で描かれている。

西洋人を理解するためには良い本でした。彼らが、いったい何に価値を置いているのか、少しは勉強になった気がする。司馬遷の『史記』も面白いけど、この本も読むべき価値はある。日本に、こんな歴史書がないのは残念だ。日本書紀など、身近な内輪話に思ったよ。

小米で糀を作ってみた。

小米が残っていたので甘酒にしようと思い立った。去年、米買いの業者が来て、粉になっているからと引き取ってくれなかったのだ。面倒なのでそのまま冷蔵庫に放り込んでいた。それを精米して、圧力鍋で蒸して、糀菌を振りかけて、ブルーシートで簡単に覆っておいたのだ。

毎日暑いからさ、放っておいても30℃にはなっている。おかげで、糀カビで真っ白だよ。齧ってみたらとても甘く仕上がっていた。別に用意した粥(これも小米)と合わせて一晩おいたら泡がブクブクしてきて、とても良い香りがする。

学名サッカロミセスセレビシェ、酒の酵母がしっかりと働いている。この香りとドブの味が堪らない。泡は二酸化炭素CO₂だよ。子供のころは自宅で味噌を作っていたからね。懐かしい味さ。しばらくは甘酒の生活をするつもりだ。

あと十日で水を落とす。

今年は雨が多かったので、水を引いてくる手間もいらずに済んだ。楽チンよ。しかしなんだか田んぼがスカスカな感じがする。たぶん収穫は少ないだろう。刈って見ないと分からないけれど、自然相手だからこんな年もある。私は柑橘類もたくさん作っているから、今年の蜜柑は水っぽいだろうなと思っている。

柿なんか、甘くなかったら食う気はせんわな。コメの味はどうだろう。もともと水稲というから、水が必要な作物だ。陸稲と違って、水があるからこその味になる。そうは思っていても不作の年のコメは、もう一つ物足りないのも事実だ。この雨模様の天気が晴れに変わったら、カメムシ、ウンカの消毒をする。

今のところ順調だ。田んぼの水を落として十日もすれば稲刈りをして米にする。そういえば昔、稲刈りをする時になっても毎日雨が降った年があった。稲は、刈り取る前から発芽していたものよ。昔はそんな年でさえ、異常気象だ、地球温暖化だという人はいなかった。今と昔、どちらの人が賢くなっているんだろう。

50年前には地球温暖化が進んでいて気候変動が顕著になっていた、というんだろうか。だいぶん涼しくなったし、もう雨はいらんな。雨を見ながら毎日本を読んでいるから体が鈍ってきた。ビールもうまくない。やはり汗をかいて体を動かしてこその生活なのだ。

盆には、かわいい妹たちが来て、

今年は親父の七回忌だから灯篭を作って寺の行事に参加した。私の横には「萬倍矣」(万倍なり)と書いてある。何が万倍なのかというと、兄妹が仲良く過ごすことが眞の道だというのだ。この世の中で生きていくことは厳しいことが多々ある。

それでも年に一度は先祖を祭り、楽しく過ごすことができれば、これに勝ることはない。私も何とかここまで漕ぎ着けた、というところだ。欲は言うまい。ある程度やってきたら、あとは宿命だと思っている。やっと父母のこと、祖父母のことが分かってきたような気がする。

出来の悪い跡取り息子であった。それも先祖たちが築いてきた結果の話よ。観念して静かに田畑を耕して生きていくつもりだ。どうやらこれが性に合っている。東京や大阪での生活は、夢のまた夢の思い出話よ。

やっと灯篭ができた。

今日は七日盆だからぎりぎりセーフか。親父の七回忌だ。法事もしたしな。出来の悪い息子でもこれくらいはと思っている。親父は都合があって、三男坊なのに家業を継いだ。上の二人はとても出来が良かったらしい。東京の叔父に甘えて、東京に行きたいと何度もせがんだらしい。

世間は厳しいのにね。おかげで私が家業を継いで、一人百姓仕事に汗を流している。家の伝統的なことは親父を飛ばして、祖父から私に教えられた。これから迎え火、送り火の、松の根っこ(肥え松)を使った松明を作る。これも親父は作らなかった。私が子供のころから作り続けている。

いや、サラリーマンしていた時には親父が作ったんだろう。盆には、昔のことを思い出している。我が家の紋は、丸に蔦だ。でもこのデザインは珍しいでしょ。いろんな種類の透かし彫りの型紙が残されている。こんな伝統も、地域から消えていくんだろうか。15日には灯篭焼の行事がある。

稲の苗を購入した。

計算して稲の苗を作っていたつもりが、予想外に食い込んでしまって足りなくなった。それで農協JAに行って、8枚買ってきた。一枚1210円、8枚で9680円。値段の高さに驚いている。田んぼ一反(10a)に、この苗箱が24枚いる。そしたら苗だけで29.040円になる。

一反に米は8俵(60㎏)とれるから、1俵1万円として、8万円の収入になる。農薬と肥料を差し引くと、もう残りはない。トラクターとか、コンバインとか、田植え機とか、乾燥機とか、籾摺り機とか、ほとんど赤字状態ではないか。

私は自分で籾を播いて苗を作っているけれど、近所の百姓たちは農協から苗を購入している。採算なんか考えてはいないんや。我が家は古い農家でして、何でも自家生産してしまう習慣がある。お金はあまり使わない。子供のころは親戚同士で手伝いあいをしていた。

まるでお祭りのように賑やかな田植えだった。柏餅をたくさん作って頬張ったりね。昔のことが夢のようだよ。田植えしてから、三月と十日で稲刈り、米ができる。やはり我が家のコメが一番うまいと思う。

今年もお茶を摘んでいる。

毎年のことだけれど、今年もせっせとお茶の芽を摘んでいる。母たちがやっていたのとは少し違って、新芽の部分だけで作るから、かなり濃いお茶になる。今年は、茶粥と茶飯に挑戦するつもりだ。

近所の古刹、興国寺の名物でね、最近は作る人がいなくなっただろうけれど、本当に美味しかったのだ。スーパーの安物のお茶なんか、ペットボトルのお茶なんか、あんなもの御茶じゃない。

農薬のかかっていない、本当のお茶を作ってみないか。お金も要らないし、趣味にするにはよい遊びでっせ。これから、タラの芽と、お茶の新芽で、天ぷらにして酒の当てにするつもりだ。売れ残りのレモンがドツサリある。気ままな独り暮らしよ。

筍を食べている。

猪が来て、ほとんど食べられてしまったけれど、草むらに少し残っていたので掘ってきた。しばらくは筍の炊いたんばかりになる。先日まで蕗ばかり食べていたから、繊維質でおなかの具合の調子が気になってきた。なんせアクのある山菜ばかりだからね。食べ過ぎるとガンになるというじゃないか。

それでも春のごちそうだと思って、頬張っている。筍を食べると、さぁ、やるぞっ、という気力が沸くらしいのだ。田んぼでは蓮華が咲いていたので、レンゲばつりをした。緑肥と言う奴よ。田拵えの初めだ。牛を飼っていたころ、子牛をレンゲの所に連れてくると、飛び跳ねて喜んでいたことを思い出している。

牛は、レンゲが大好きだったのだ。牛を飼った人なら知っているよな。昔は、レンゲの所で相撲を取ったり、子供たちが楽しく遊び場にしたものさ。今は、そんな風景はどこにもない。少なくとも、太陽パネルを敷き並べるのだけは止めとこう。